プロフィール
- 厚生労働委員会
- 行政監視委員会
- 東日本大震災復興特別委員会
- 国民生活・経済及び地方に関する調査会
- 団体総局厚生関係団体委員会 副委員長
- 戦没者遺骨帰還に関する特命委員会 事務局次長
- 広報本部ネットメディア局 次長
- 東邦大学医学部卒、旧厚生省医系技官、ハーバード大学公衆衛生大学院客員研究員、公益財団法人星総合病院理事長、ポラリス保健看護学院院長、一般社団法人福島県医師会顧問、東邦大学医学部客員教授、福島県立医科大学臨床教授、第26回参議院議員通常選挙にて初当選
令和4年10月18日現在
平成元年3月 | 東邦大学医学部卒業 |
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平成元年4月 | 厚生省入省 |
平成4年4月 | 労働省労働基準局安全衛生部化学物質調査係長 |
平成8年9月 | ハーバード大学公衆衛生大学院客員研究員(平成9年6月まで) |
平成10年1月 | 厚生省退職 |
平成10年3月 | 財団法人星総合病院副理事長 |
平成11年4月 | ポラリス保健看護学院院長(現在に至る) |
平成12年4月 | 日本医師会常任理事(平成16年3月まで) |
平成13年4月 | 東邦大学医学部客員教授(現在に至る) |
平成17年5月 | 福島県医師会常任理事(平成27年3月まで) |
平成18年4月 | 日本医師会代議員(令和4年6月まで) |
平成18年4月 | 郡山医師会理事(平成27年3月まで) |
平成20年12月 | 財団法人星総合病院理事長(平成24年12月まで) |
平成24年12月 | 公益財団法人星総合病院理事長(現在に至る) |
平成27年3月 | 福島県医師会副会長(令和4年6月まで) |
平成29年6月 | 公益社団法人全日本病院協会理事(平成31年6月まで) |
平成30年6月 | 日本医師会参与(令和2年6月まで) |
令和4年 6月 | 福島県医師会参与(令和5年3月) |
令和4年 7月 | 第26回参議院議員通常選挙にて初当選 |
福島県郡山市出身。小学校の頃、管弦楽団に所属してトロンボーンを吹いていました。中学校に進学後は、フォークソングの全盛時代。ギター演奏に没頭し、人前でよく歌っていました。一方で、模型飛行機作りやアマチュア無線などにも興味があり、中学時代にはアマチュア無線部を設立して初代部長になったり、高校時代はフォークソング同好会を立ち上げたりしました。
小学校時代はやや肥満だったこともあり、運動があまり得意ではなく足の速い人や運動能力の高い人に対する羨望がありました。中学後半から急に身長が伸び、高校時代はバレーボール部に所属。大学進学後はアメリカンフットボールに挑戦しました。東京の東邦大学医学部に進学しましたが、大学2年時に原因不明の発熱に見舞われ入院。アメリカンフットボールでも首を強打して、大けがをして闘病生活を経験しました。こうした体験は、自分の生活や将来を考える機会となりました。
大学卒業後は厚生省の医系技官になりました。直接医療に携わるのではなく医学に関する知識や公衆衛生学を基盤として、全くの事務作業を通じて政策を立案するという仕事です。
平成7年には阪神・淡路大震災で現地対策先見班に参加。混乱する現場で医療関係者の活躍に共感しましたが、現地と霞が関・永田町との温度差、意識の違いを感じることにもなりました。こうした意識の違いは、平成23年の東日本大震災でも如実に表れました。厚生労働省を退職し、郡山で病院を経営していましたが、震災発生後、県医師会の役員として地域の小児医療立て直しに奔走するも、医療と政治をつなぐ存在が必要だと痛感しました。
看護学校の校長として多くの卒業生を医療現場へ送り出してきました。自分の病院のために働く看護師を養成するという目的もありますが、何よりも生涯にわたって素晴らしい「看護の仕事」を続けられる意識と力を身につけてほしいと考えています。
県医師会副会長として、地域医療の充実に取り組んできましたが、最大の転機は新型コロナウイルス感染症の拡大でした。コロナ対策に明け暮れ、議会や行政、大学関係者とのやり取りの中で、住民のことを考えた政策を実現するため、『政治』が大切だと再認識しました。
「自分のためより地域のため」をモットーにして、これまで病院や看護学校などを経営し、常に心掛けてきたのは「オラが病院」と地域の方々から頼りにされる存在であることでした。
震災と原子力災害に傷ついたふるさと『福島県』を私は心から愛しています。「自分のことより、地域のこと。そのために何が出来るか」。これからも自問自答を繰り返し、 その復興のために自分がすべきことに全力を注ぎたいと考えています。
地域医療の確保と充実は重要ですが、地域を守るためには人口減少という課題に取り組まなければなりません。地域で子どもたちが伸び伸びと育つ環境を実現し、子育てを楽しめるような環境を作りたい。私は病院のほかに5つの保育園を運営しており、保育の現場にも精通しています。医療、福祉、子育てといった地域の課題を解決するため、これからも数多くの課題に正面から取り組みます。